この世のことはすべて、その時が満ちた時に起こるのだと思っています。
そうは思っていても不意打ちを食らって放心することも多々あり、2016年の大晦日の朝にその時がやってきました。
渡辺和子シスター逝去
いつもと同じような朝、iPhoneの画面に現れた文字に釘付けになり、その場にへたり込んでしまいました。
シスターが書かれた「置かれた場所で咲きなさい」という本がベストセラーになったのは最近のこと。でもずっと昔から、同じことをいろんな場面で話してこられました。
私の働いている大阪の私立の女子校では、高校の卒業式前日に毎年渡辺シスターから話をしてもらっています。高校を卒業して社会へと出て行く女子生徒たちに、強くしなやかに生き、人のために働くことの意味を丁寧な言葉を紡いで話してくださいました。時には優しく、時には厳しく。茶目っ気たっぷりに笑うこともあれば、そっと寄り添うように微笑みながら話されることもありました。
生徒たちの卒業の時期は、教職員の大人たちにとっても公私ともに節目の多い季節。そんな時期にいつもシスターを迎えて話を聞くことができたのはとても幸せでした。耳を傾ける人によって心に響くこともちがい、それぞれに何かを感じて受け止めていたように思います。世に出る生徒たちへのメッセージに乗せて、教育を担う先生やスタッフたちへエールを送ってくださっていたのかもしれません。どんな人の心にもすっと落ちることの多いお話をいろんな人に聞いて欲しくて、学校の仕事を担ってくれているクリエイターさんたちを誘ったこともありました。その中の一人から今朝連絡をもらって「シスターの話いまでも心に残っています。貴重な機会をありがとうございました」と言われました。聞いてもらえてホントによかった。。。
また2月の末に勇気をもらおう!と勝手なことを思っていたけれど、それは叶うことはありません。寂しくて残念ですが、いただいた無数の言葉を希望に変えて、世に還元していかなければ、シスターに申し訳ない。前を向いて生きていくのが私たちに与えられた役目だと思うのです。
「自分の選択に潔く責任をとれる人でいてくださいね。でも選べないこともある。不本意なことがあった時こそ、逃げずに投げ捨てずに、そのことを両手でいただいてください。それからその意味を考えて。置かれた場所で咲けるように。咲けないときは、下へ下へと根を下ろしなさい。咲くも自由、咲かぬも自由。全てはあなたの選択です。」
この言葉に何度も励まされてきました。シスターが天に召されたそのことは、多くの人にとって受け入れがたい不本意なこと。だからこそ、両手で受け止めて、しっかり考えるときを持ちたいと思いました。シスターに届けていただいた多くの思いや愛情を、生きている私たちが咲かせて世に還元できるように。
”天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。神のなされることはみな、その時に適って美しい。” 聖書 伝道の書より